弁天山美家古寿司には、
昔 (明治18年〜昭和20年)までの間
【シャリ炊の兼(かね)さん】がいました。
松本兼吉
16歳から美家古に入り 60年余の間
終始一貫 鮨飯炊きに生涯を打ち込んだ男。
小僧として美家古に入店
昭和20年3月10日 浅草が燃えるとともに
美家古のシャリ炊き場 地下の防空壕にて
兼さんは、燃えつきました。
【シャリ炊兼さん 】
『あっしがいなくなったら 誰がシャリをたきますかね…? まァ、あっしが生きている間は、あっしにまかしときなさいよ……』
この男の生涯を
冷泉公裕さま が 語りにして
演じて下さいました
( 元 文学座俳優、現 舞台演出家、FMG代表)
先代4代目 内田 栄一になりきり
黒縁眼鏡に白衣 うちわ片手に語る姿。
兼さんが そして3代目 竹三郎が
そこに、いるかのように思え
弁天山美家古を愛した男達が そこに蘇る。
涙あふれました。
多くの方々に美味しいお寿司をお届けしたい
その心意気を受け継ぐことの
大切さ
改めて感じました。